
こんにちは、獅子頭です。

昨日、獅子舞保存会の方々と牛島小学校へ行ってきたんだよ。
小学校3年生のこども達と、その保護者の方がたくさんいてびっくりしたぁ!すごく気合が入ったよー!

【みんなの頭をパクパク】
なんでも獅子舞について勉強してくれるみたいなんだ。
すごく嬉しいね!
じゃあ特別に近くに来て、見たり触ったりしてもいいよ。

僕だけでなく、獅子舞には欠かせない笛や太鼓、お祓(はら)いに使う大麻(おおぬさ)なども、みんな楽しそうに体験してたみたい。

最後に、リコーダーで獅子舞の笛のまねっこ。リズムと音程を覚えてみんなに演奏してもらったんだ。

みんな楽しかった?
僕はとっても楽しかったよ!
僕はずっと神社にいるから、また会いに来てね!
獅子頭でした。
今日はもう一つ、記事を書きました。
↓スクロールスクロールスクロール↓
◇◆◇お知らせ◇◆◇
9月25日(火)午後6時~ (詳細はこちら)
三皇熊野神社 本宮にて観月祭を斎行します。
月刊andnowの10月号に三皇さんが掲載されます!
(9月25日発売)
超神ネイガーの放送が始まります!
最終回には三皇さんが写りますよ!
10月6日スタート
朝9時25分~ABSにて(全13回)
ぽちぽちぽちっと↓

続きを読むでは、獅子頭の御由緒と、獅子舞保存会の募集のお話し!

昨日、獅子舞保存会の方々と牛島小学校へ行ってきたんだよ。
小学校3年生のこども達と、その保護者の方がたくさんいてびっくりしたぁ!すごく気合が入ったよー!

【みんなの頭をパクパク】
なんでも獅子舞について勉強してくれるみたいなんだ。
すごく嬉しいね!
じゃあ特別に近くに来て、見たり触ったりしてもいいよ。

僕だけでなく、獅子舞には欠かせない笛や太鼓、お祓(はら)いに使う大麻(おおぬさ)なども、みんな楽しそうに体験してたみたい。

最後に、リコーダーで獅子舞の笛のまねっこ。リズムと音程を覚えてみんなに演奏してもらったんだ。

みんな楽しかった?
僕はとっても楽しかったよ!
僕はずっと神社にいるから、また会いに来てね!
獅子頭でした。
今日はもう一つ、記事を書きました。
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9月25日(火)午後6時~ (詳細はこちら)
三皇熊野神社 本宮にて観月祭を斎行します。
月刊andnowの10月号に三皇さんが掲載されます!
(9月25日発売)
超神ネイガーの放送が始まります!
最終回には三皇さんが写りますよ!
10月6日スタート
朝9時25分~ABSにて(全13回)
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獅子舞とは
お正月の寒の入りから14日ころまで、町の平安に各家の除災招福を祈り、牛島町内の家々をまわり獅子舞神事をしてお祓いいたします。
三皇さんの獅子頭について

【初代 獅子頭】
この獅子頭は古くから伝えられていたもので、制作年代はおそらく幕末の頃ではないか、という以外に詳しい事はわかっていませんが、この獅子頭には「頭」と「歯」と「額(ひたい)」に際立った特徴が見られます。
「頭」
獅子頭には角(つの)があるのが普通ですが、この獅子頭にはありません。また、かつてあったものが落ちたような痕跡も見当たりません。
「歯」
獅子頭の歯は大体金色なのですが、この獅子頭の歯は黒く、いわゆる”お歯黒”で、これは女獅子であることを示しています。ここから、もう一体男獅子があったのではないか、それが何かの事情で別れ別れになったのでなかろうか、なども考えられますがはっきりしたことはわかりません。
「額(ひたい)」
この獅子頭の額に施されている五本骨の扇章は、秋田藩主佐竹家の定紋(じょうもん=正式の紋)です。神社や仏閣の建物、祭具に藩主の定紋があることは珍しいことではありませんが、何かしらの理由があると考えられます。現在はまだ解明されていません。
三皇さんの獅子舞について

「獅子頭はあるが、獅子舞がない」ことに着目し、獅子舞の復活を思い立ったのは当時秋田県立商業学校の教諭で、牛島青年団の指導に当たっていた後藤正男氏でした。
基本理念
・日本で一番長らく続いている伝統行事は、神事と祭事と仏事である。祭りを若者たちの心のよりどころとしたら、青年団活動は必ず長続きし発展するにちがいない。
・だれでも、神前にぬかずいた時は無心になる。神事の一種といえる獅子頭をかむったら(かぶったら)、同じような気持ちになるだろう。一時にせよ、無心になる機会が持てたならば、それはきっと若者たちの親睦を深め、青年団を成長させる糸口にもなるはずである。
三皇さんの獅子舞は途絶えてしまって久しく、所作や囃しなども知るよしもありません。そのため、南秋田郡大平村(現秋田市太平)の若宮八幡宮で獅子舞が行なわれていることを聞いた後藤氏が青年団の吉田直喜氏を同神宮に派遣して習得させ、三皇さんの獅子舞復活の灯をともすことができました。しかし、その後どうも舞いがリズム感に乏しく、どこか格調に欠けて物足りない感じがするというので、内小友村(現大仙市)に赴き、日吉神社の宮司(現宮司高橋誠氏巌父)から一週間にわたって獅子頭の扱い方やかみ方など、所作について指導を受けており、それが基本として受け継がれて現在に至っています。
保存会について
昭和13年の復活からは獅子舞講中のかたちで行なっておりましたが、昭和49年に獅子舞奉仕団となり、その後昭和51年に三皇熊野神社氏子青年会に受け継がれた後、三皇熊野神社獅子舞保存会が主体となって神事を行なっています。保存会にはどなたでも自由に参加できます。伝統行事を受け継ぐためにもぜひ、ご参加をお待ちしています。
お正月の寒の入りから14日ころまで、町の平安に各家の除災招福を祈り、牛島町内の家々をまわり獅子舞神事をしてお祓いいたします。
三皇さんの獅子頭について

【初代 獅子頭】
この獅子頭は古くから伝えられていたもので、制作年代はおそらく幕末の頃ではないか、という以外に詳しい事はわかっていませんが、この獅子頭には「頭」と「歯」と「額(ひたい)」に際立った特徴が見られます。
「頭」
獅子頭には角(つの)があるのが普通ですが、この獅子頭にはありません。また、かつてあったものが落ちたような痕跡も見当たりません。
「歯」
獅子頭の歯は大体金色なのですが、この獅子頭の歯は黒く、いわゆる”お歯黒”で、これは女獅子であることを示しています。ここから、もう一体男獅子があったのではないか、それが何かの事情で別れ別れになったのでなかろうか、なども考えられますがはっきりしたことはわかりません。
「額(ひたい)」
この獅子頭の額に施されている五本骨の扇章は、秋田藩主佐竹家の定紋(じょうもん=正式の紋)です。神社や仏閣の建物、祭具に藩主の定紋があることは珍しいことではありませんが、何かしらの理由があると考えられます。現在はまだ解明されていません。
三皇さんの獅子舞について

「獅子頭はあるが、獅子舞がない」ことに着目し、獅子舞の復活を思い立ったのは当時秋田県立商業学校の教諭で、牛島青年団の指導に当たっていた後藤正男氏でした。
基本理念
・日本で一番長らく続いている伝統行事は、神事と祭事と仏事である。祭りを若者たちの心のよりどころとしたら、青年団活動は必ず長続きし発展するにちがいない。
・だれでも、神前にぬかずいた時は無心になる。神事の一種といえる獅子頭をかむったら(かぶったら)、同じような気持ちになるだろう。一時にせよ、無心になる機会が持てたならば、それはきっと若者たちの親睦を深め、青年団を成長させる糸口にもなるはずである。
三皇さんの獅子舞は途絶えてしまって久しく、所作や囃しなども知るよしもありません。そのため、南秋田郡大平村(現秋田市太平)の若宮八幡宮で獅子舞が行なわれていることを聞いた後藤氏が青年団の吉田直喜氏を同神宮に派遣して習得させ、三皇さんの獅子舞復活の灯をともすことができました。しかし、その後どうも舞いがリズム感に乏しく、どこか格調に欠けて物足りない感じがするというので、内小友村(現大仙市)に赴き、日吉神社の宮司(現宮司高橋誠氏巌父)から一週間にわたって獅子頭の扱い方やかみ方など、所作について指導を受けており、それが基本として受け継がれて現在に至っています。
保存会について
昭和13年の復活からは獅子舞講中のかたちで行なっておりましたが、昭和49年に獅子舞奉仕団となり、その後昭和51年に三皇熊野神社氏子青年会に受け継がれた後、三皇熊野神社獅子舞保存会が主体となって神事を行なっています。保存会にはどなたでも自由に参加できます。伝統行事を受け継ぐためにもぜひ、ご参加をお待ちしています。
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